雨が降るまで (2)




「あれ?珍しいじゃん、1人?」
バーカウンターの隅に座っていたグーデリアンが、ふいに声を掛けられたのは、昨日の夜のことだった。
聞き覚えのある声に振り返ってみると、そこにはやはり1人で来ていた加賀の姿があった。
「まあ、たまには……」
薄く笑うグーデリアンの、どこか色の無いような声。手元のグラスは飲み物が無くなって随分経つのか、すっかり氷は小さくなり、汗をかいたような水滴が滴り落ちている。
そして、そのグラスを持つかわりに握り締められている携帯電話。
「………待ちぼうけ?」
目敏く見つけてしまったそれを見て、加賀は多少遠慮がちに聞いてみると、ぶん、と一度だけ首を横に振り、ジーンズのポケットにねじり込んでしまった。
「いや、誰も待ってたわけじゃないから」
と言って隣のイスを軽くひくと、加賀は少しためらった後にひらりと腰をおろす。グーデリアンのダークなオーラを感じて、帰ってしまおうかとも一瞬考えたが、まぁ何より暇だったので 話を聞いてみようという気分になったのだ。
「―――――…苦しいんだ」
「はぁ?」
バーテンからグラスを受け取るのと同時に発せられた、グーデリアンの言葉の意図が掴めず、自然と語尾が上がる。
「逃げることも、進むことも出来なくて……」
溶けゆく氷をじっと見ながら、1人ごとのように呟くその話が、何を差すものなのかわからないが、えらく真剣な口調なので迂闊に口を挟めない。
「レンアイ、なんてさ―――」
何だ、女の話かよ
加賀の全身が一気に脱力する。
「どんな駆け引きも、スリルがあって楽しい。でもそれは誰とやったところであんまり変わんねーもんだって思ってたんだ。なのに……」
どうやら手こずっている相手でもいるのだろうか。
世界の恋人と謳われたジャッキー・グーデリアンに対して興味を示さない人間だって、そりゃあいるだろう。
一口喉を潤し、ふうんと軽くながした後
「…ま、そーゆー奴に限って、絶対振り向いてくれないような相手にホレちまうもんなんだよな」
なんて口走ってしまった。
「―――――――…………」
何の返答もない。
―――…あれ?……マズった…?
加賀は恐る恐る目線だけを隣に向けると、背中を丸め、より一層深くなったダークな空気を背負ったグーデリアンが、深い溜息をついていた。
「やっぱ…無理だよな」
「……なんだぁ?珍しく無理、なんて決め付けてんの?」
「―――――だってさ、こんなこと初めてで……」
よっぽど相手にされていないのだろうか?
それよりも、グーデリアンをこんなに参らせている奴のことがふと気にかかった。
「気持ちを伝えることすら出来やしない……、なのに毎日毎日顔を見なきゃいけないなんて、あんまりだ」
「……毎、日?」
関係者なのだろうか?
絶対振り向いてくれない、気持ちを伝えることも出来ない。そして毎日顔を合わせる………ような。
加賀の脳裏に一瞬だけ浮かび上がった人物――――。
いや、ありえねぇって
バカげた想像だと打ち消すように、酒を口に含む。
「こんな事なら、同じチームになんて―――――」
ぶっっ!!!!!
打ち消したばかりの想像を再び目の前に突き出された事に、思わず口に含んだアルコールを噴き出してしまった。
「ゲ…ッホ!!ゲホ……ッ!!!ちょ、ちょっと待て!…………お前、さっきから言ってる相手って―――………女、だよな?」
そうであって欲しいとでも言うような加賀の念を押す声に、背を丸めたままグラスをじっと見ていたグーデリアンが、ようやくゆるゆるとこちらを向いて、ふっと顔を歪める。
「―――――――」
肯定も否定もしないことに不安を覚えた加賀が、ずい、と半身だけをグーデリアンの方へ寄せると、もう一度、一部分だけを強調させて尋ねた。
「女、だよな?」
「―――――――――いや……違う」
「まさかとは思うんだけど………ハイネル……か?」
言いたくなかった、核心をつく一言に、グーデリアンの視線が加賀から逸らされた。
否定されない―――
眩暈を起こして倒れてしまわんばかりの半身を、ゆっくり元に戻しながら、ほつれてしまいそうになる思考回路を整理させる。
俺が見る限り、ケンカしている姿くらいしか思い浮かばない。
それは、じゃれあっているようには決して見えなかったと思う。
「え――――っと………」
自問自答は続く
じゃあ、グーデリアンがいつも両手にはべらかしているアレは何だ?
そもそもハイネルは男だろ?
いや、男だ。間違いなく。
…あれ?じゃあコイツは男でもイケるってことか?
でもこの間、男のケツなんか興味ないって言ってたよな?
いや、そんな事より……… ……
「だぁぁぁ――――――っっっ!!!」
ほつれてしまいそうだった思考回路は完全にほつれてしまった。
緑の鮮やかな頭を、両手でガシガシ掻き毟ると、目の前のグラスをカッと一気に煽り、空になったそれを叩きつけるように置いた。
「つまりだ!!お前はハイネルを好きになった。で、行動を起こすのも出来ずに悩んでる、と」
再びずいっと身を寄せ、直球で質問してくる加賀のいつにない様子に、グーデリアンが苦笑して答える。
「変、だよな。まさかこの俺が、よりにもよってあのハイネルに、なんて。でも、だから苦しくて、どうしたらいいかわかんねーんだ。だって、普通ヒクだろ? 男に好きだ、なんて言われても……」
「う―――ん……そう、だなぁ」
「言って楽になりたい、とも思ったけど、そうすることであいつを失うことの方が耐えられない。だから、言わずにいることが一番安全で、ずっと側にいることが 出来るって自分に言い聞かせて――――――」
でも、もう限界。
なげ出すように言う。



それっきり黙ってしまい、加賀のグラスの氷も半分ほど溶け出した頃、煙草の煙を吐き出す吐息と共に沈黙を破ったのは加賀のほうだった。
「………じゃあさ、例えばハイネルに彼女が出来たとして、お前はそれでもいつも通りに振舞えんの?」
「―――――……すごくハイネルが幸せそうなら……」
「無理だね」
小さくなった煙草を灰皿に押し付けながら、キッパリと言い放たれた言葉に、え、とグーデリアンが加賀を見つめる。
「幸せそうであればある程、楽しそうにしてればしてる程、心の中がぐちゃぐちゃになって、力ずくにでも自分のモノにしてしまいたくなる。でもやっぱそんなコトは出来ねぇ。… そうやって葛藤を繰り返すうちに、ハイネルの側に居ること自体が辛くなって逃げ出しちまう」
自分がかつて、風見ハヤトに対してそうであったように―――――
とまでは言葉にすることは無かったけれど。
「だから、言わないで後悔することの方が何倍もツラいんじゃねぇの?………それに、」
「それに?」
今度は加賀がグーデリアンを見据えた
「お前に好きだって言われて逃げ出すような奴じゃねぇだろ?」
その言葉と一緒に見せた、加賀のいつものおどけたような表情につられて、くもりがちだったグーデリアンの顔も、ふっと隙間から陽が差し込まれたような、柔らかなそれに変わる。
「―――――そう、だな」

カランと最後の氷が、クリアな音をたてて形を変える。
それはまるで、グーデリアンの迷いを消し去る合図であるかのように。




END



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